mis esquemas juveniles

好きなときに好きなことを

世界一かわいいあの子に捧げる

道重さゆみのことは大嫌いだ。

 

さゆの画像を集めたり、動画を見たり、ラジオ聴いたりするのは、本当に時間がかかる。誇張でなく、さゆの情報を集めるだけで一日が過ぎることもある。今を追いかけながら過去も遡ったりするし、何度も見たくなるメディアがたくさんある。勉強しなきゃいけないときも寝なきゃいけないときも、私はそれをうまく我慢することができない人間だ。
あとはお金がかかる。私は昔っからオタクだったけれど基本的に在宅気質だったし、今時音楽や映像なんて中華系サイトでも探せばいつでも簡単に無料でダウンロードできるけど、さゆを見てると、買いたくなる。さゆが買ってほしいな、っていってるグッズや、さゆが美しく映っている映像や写真、一位とれたらいいなって言っているシングルを、きちんと自分のお金を対価にして購入しなくちゃ、という気持ちにさせられる。そして彼女をこの目で直に見ようと、コンサートやイベントに行かなくちゃいけなくなる。
時間やお金だけじゃない。私はいつもさゆのことを考えなくちゃいけなくなる。ブログの更新がなかなかないとき、大丈夫かな忙しいだけかな、それとも何かあったかな、って不安になるし、アー写でさゆが後列にいると、さゆ後列になって悲しんでるんじゃなかな、ってこっちも悲しくなるし、ネットでさゆのこと悪く言っている人をみると、なんであんな子のこと悪く言えるんだ、そしてそれをどうしてこんな誰でも見れる場所に書くんだ、って憤る。さゆが悔しいときは私も悔しいし、さゆが泣くときは、私も泣く。さゆのせいで、私は自分が普段感じる二倍の悲しみや怒りを感じなければいけなくなる。
しかもあのさゆみってやつは、よりによって私が日本に帰れないときに卒業を発表して、卒業した。卒業だけならまだしも、そのあと休業するとか言っている。私は少なくとも12月に大学の授業が終るまで日本には帰れないし、一時帰国なんてお金がかかりすぎる&時間がかかりすぎる(片道30時間以上)のでできない。つまり私は彼女が卒業を発表してから、彼女をこの目で直接見て、彼女の声をこの耳で直接聞いて、私の声を彼女に直接届かせる術を全て失った。休業は、いつまでするのかわからない。すぐに復活するかもしれないし、なかなかしないかもしれない。
どん底の気分だった。
 
卒業は、悲しいことじゃない。
特に、道重さゆみにとっては、卒業という文字にネガティブな要素などひとつもなかった。それはわかっていた。
 
私が彼女のファンになったのは、ちょうど9期がモーニング娘。に入った頃だ。私は、多くの20代女子の娘。ファンがそうであるように、小学生のときに好きだったけれど、ちょうど6期メン(さゆ)が娘。に入った頃には世間の波とともに離れていったファンだった。ネットニュースか何かで鞘師を見て、「かわいい!」と思ったのと、なぜか周りの友達が次々にはまっていくのに揉まれていつのまにか立派なモーニング娘。ヲタになっていた。そして、入り口は鞘師であったのに、私の心はいつのまにか道重さゆみ、彼女に奪われていた。
昔から漫画が好きで、「気が強くて素直になれない、顔は女の子らしくてかわいい子」っていうキャラに惹かれる傾向があった*1。だからなんとなくその流れで彼女に注目し始めた。でも彼女の魅力は当初の想像をはるかに越えていた。出てくるわ出てくるわ、バラエティでの奮闘、特に黄金伝説の一ヶ月一万円生活はリアルタイムで見てリビングで大泣きした。そしてライブでの表情。歌割りはほとんどなく、歌えたとしても残念ながらあまりうまいとは言えなかったのに、彼女のライブパフォーマンスは私にとって誰よりも輝いているように見えた。ラジオも聞いた。かなり前までさかのぼって聞いた。
道重さゆみを一言で表現することはできない。奥深い女の子だと思う。彼女の内面を知るにつれ、どうしようもなく彼女を愛しく思う自分を見つけていた。
「私は歌でもダンスでもトークでも一番になれなかった」って言っていたけれど、彼女は私にとってはもう全てにおいて一番であるように思えた。
そして彼女のファンになるのは当然で自然な流れのように思えた。そんな感じで私は道重さゆみ推しになった。
 
さゆが娘。を愛したように、私もモーニング娘。というグループを愛した。娘。ヲタでいると人生がめちゃくちゃ楽しい。いろんなことが起きて、しかも人気がどんどんあがっていくのをこの目で見ることができて、毎日友達ときゃあきゃあ言って喜んだ。そして他のハロプロのグループも好きになって、更にはハロプロ以外のアイドルもどんどん好きになった。音楽の趣味の幅も広がって、新しいものに毎日出会える。アイドルオタクは、本当に楽しい。
さゆはそういうきっかけをくれた人でもあると思う。
 
彼女が卒業を発表したとき、私は悲しみと、それと同時に喜びも感じた。悲しみは言うまでもなく、喜びは、「自分の一番好きなメンバーが今までにないくらい一番素晴らしいタイミングで気持ちよく卒業をすること」、そして「さゆが自分で「かわいさがピーク」と思うその時に、さゆだけが主役の、さゆのための卒業公演が開催されること」。
でも悲しいことに変わりはなかった。私は色々なSNSに色々な気持ちを書いた。全然まとまらなかった。素直な気持ちだってまとまってないのに、他のヲタさんが見ていて悪い気分にならないようにとか、ハロプロ知らない友達に興味を持ってもらえるようにとか、あれこれ考えながら書いていた。正直言うと読み返したくない、多分すごく矛盾したことを言い続けているから。
さゆの卒業は、私にとって、あまりも大きすぎる出来事だった。
なんでこんなことになったんだろう、って途方に暮れたときもある。でも留学を決めた自分の選択を否定したくはなかった。チリで暮らす一年は私の人生においてとても重要な一年になったし、あと一年ここで勉強を続けることができるならそうしたいと思った。留学とさゆを天秤にかけることはできなかった。
 
そうやってうじうじしているうちに、半年なんてあっという間にすぎた。
さゆの卒業公演は11月26日、横浜アリーナ。どんな手段を使っても、地球の裏側にいる私が彼女の卒業をリアルタイムで見届けられないことはわかっていたので、人の実況をパソコンにはりついて猫背で追うよりは、いっそ彼女の情報がないところに行った方がましだと思った。ちょうど26日は授業がなかったので、25日にはもう自分の住む街を発って、チリの南の南、プンタ・アレーナスに住む友達を訪ねた。マゼラン海峡のすぐそばの街。
 
彼女がアイドル人生のピークを迎えたとき、私はそこにいた。地球の裏側だ。横浜から地球の裏側というと厳密に言えばアルゼンチンかブラジルだと思うけど、ほとんど裏側だ。成田からチリの首都までだって30時間はかかるし、そこからここにくることを考えると約2日。人類のこれまでの発明を駆使しても、私とさゆの間には2日もの時間距離がある。
違う。
これだけ遠いところにも、さゆ、あなたの卒業を祝い、あなたに感謝の気持ちを強く感じている人が、ここにいるんだよ。
 
さゆ。
 
卒コン見に行けなくて、ごめんなさい。
 
グッズ、色々友達に代わりに買ってもらったりしたけど、それでもほんの一部しか買ってないんだ。
あなたの最後のシングルも、初回Bしか買ってない。
今は自分で稼いだお金で生活してるわけじゃないから、自由に使うことができないんだ。
ほんとはもっと買ってあげたかった。
ごめんね。
もっと自分の声を届けたかった。
握手とか、今まで何回か行って苦手なままだったけど、もっと行きたかったな。
あなたに、ありがとう大好きって、目を見て言いたかった。
あなたにその気持ちを伝える人は、一人でも多いほうがいいもんね。
ピンクのTシャツであなたの名を呼ぶ人が、一人でも多い方がいいじゃん。
なにもできなくてごめん。
そしてそんな、なにもできなかった私にも、ネットや色々な媒体を通じて、愛を届けてくれてありがとう。あなたは私の顔も名前も覚えていないと思うけど、それでも私はいつだってあなたの愛を感じてた。
どこにいても、どんな人と出会っても、あなたはずっと私の憧れで、好きな人で、アイドルだ。
あなたを追いかけた多くの時間は私にとって代え難い宝物だ。
 
さゆと出会って、愛を送り、受け止め、それを生きる糧にすることを学んだ。
握手会でしか会った事のない、私のことを知らない誰かのために、怒り、悲しみ、涙を流すことを知った。
そして一緒に笑い、喜び、にやにやしたりかわいすぎて悶えたりする毎日を過ごしてくれた。
一緒に、モーニング娘。がまたアイドルのトップに立つという夢を見てくれた。
それを実現させる道を作ってくれた。
栄光を後輩に託して、あなたは去る。
 
ありがとう。
あなたの笑顔を、声を、背中を忘れない。
 
次会ったときはまた、わがままで嫉妬深くて、相変わらずかわいいさゆでいてね。
あなたの復活をいつまでも待っています。
私は道重さゆみのことが大好きです。
卒業おめでとう。
 
2014.12.3
 
チリにいる変な人より*2
 
 
 
***
 
 
アイドルを応援するという趣味は、未だになかなか理解されないときがある。それでも私は、この趣味に誇りさえ持っている。
誰かに強制されるわけでもなく、見返りがあるわけでもなく、ただ純粋な気持ちで、会ったこともない誰かのために泣いたり、笑ったり、怒ったり、そして愛を注ぎ受け止めるということは、そんなに簡単なことじゃない。
その尊さに出会えた私は幸せだと思う。全部さゆが教えてくれたことだ。
さゆを応援する生活はとにかく愛に溢れていた。さゆはもらった愛を倍にして返したい人だった。どんなときもぶれなかった。
 
さゆの卒業の瞬間に立ち会えなかったことは、実は今は全然悔しくない。彼女に出会ってから知った色々なこと、感情、そして愛の大きさに比べれば、随分些細なことのように思える。そんなことはどうだっていいのだ。私はさゆを推していて、その日々がとても素晴らしくて、それ以上になにがあるだろうか。
 
それにしても、さゆちゃんに書く手紙の下書きで書き始めたのに、ものすごい量になってしまいました。他人に見せれるように書き直して公開します。いやあ愛が重いな〜!
 
そしてこちらは卒業制作。iMovieを何度も強制終了させながら作りました。さゆちゃんに届くといいなあ。